M YATAKE
矢岳真幸の脇道・寄り道・まわり道
鉄道懐古篇

circle西武池袋線
あの頃の西武線の電車はつまらなかったせいかあまり覚えていない。特急や急行の専用車などなく、全部いわゆる一般型で、乗り心地も悪かった。池袋駅のシーサスポイントを亘るときなどズシンズシンと鈍く振動した。黄色と茶色がベージュとピンクに替わる頃だった。武蔵野などの社型車はもうなく、湘南顔と旧国電ばかりだった。新色になって時々中間2両だけが新しい両開き車の編成に乗った。私は、ちぐはぐな電車だと思っていた。501系の2M4Tである。

Seibu その当時、西武池袋線は池袋から桜台までしか乗ったことがなかった。どの駅も何となく田舎臭く、長閑な雰囲気だった。椎名町は島式ホーム1面で構内踏切があったが列車有効長を延ばすためだろう、相対式に改築され跨線橋が作られた。駅舎は北側にあり、先日惜しまれながら消えた中村橋の駅舎と同じデザインのマンサード屋根のものだった。この建物もいつの間にか建て替えられてしまった。当初南口はなかった。

東長崎は南側に貨物ヤードがあり、赤い電機が踏切を閉め切って貨車の入れ替えをやっていた。駅舎は南側、現在西友ストアが建っている場所にあり、やはりマンサード屋根を持っていた。当時の西武線の駅舎はこのスタイルが多かったそうだ。池袋方にあった構内踏切で下り本線とヤードの収束部を渡る通路があり島式ホームと結ばれていた。線路北側には広告看板がズラリと並んでいて、その中に有名な石神井の小山医院のものがあり、湘南電車が描かれていたのが印象に残っている。橋上駅舎になって北口もでき、駅舎跡地に西友ストアができたがホームは現在も島式のままである。

江古田、桜台はあまり記憶にないが、桜台の駅舎は小ぶりな駅舎だった。ここから東武練馬へ行くバスがあり、よく利用した。バスは大根畑の中を走った。

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